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歴史

1937年

カール・マイヤー氏はオーバーツハウゼンにある両親の家に旋盤加工工場を設立しました。
ちょうど28歳の時です。唯一の資産は17,000ドイツマルク、機械工としての経験、そして慎重故の企業家としてのセンス、努力と倹約でした。

1940年

最初の生産工場が操業を開始。300㎡の敷地からなり、飛行機や自動車用精密部品を製造しました。

1945年

カール・マイヤー氏は自動車エンジンの修理、オーバーホールを専門とする70人の従業員を採用しました。

1947年

カール・マイヤー氏はトリコット機を生産する会社に転換する必要を感じていました。
そしてシリンダーとクランクシャフトを研磨するドイツ最大の会社へと成長して行きました。ビジネスが順調なときにカール・マイヤー氏は新しい分野に飛び込むことを決断しました。 通常では、この決断はまったく理解できないものです。しかしカール・マイヤー氏は‘カール・マイヤー社会社概要’の中で ”新しい自動車が再び登場し、古い車がスクラップになり経済が回復するか、世界で敗戦国のままであり続け、古い自動車さえなくなるかどちらか、と自分に言い聞かせた。” と語っています。 どちらの場合でも長期会社存続を保証するための健全な基礎をもたらすものではありません。テキスタイル機械を作ることによって、つまりトリコット機の生産によってそれを達成できると氏は感じていました。

1948年

最初のカール・マイヤー社製トリコット機が出荷されました。
最初のカール・マイヤー社製トリコット機の生産は困難の連続でした。
技術者たちはプロジェクトに懐疑的で当局もプロジェクトを阻もうとしました。
カール・マイヤー氏は自身適切な技術的経験を持っていないのみならず、ふさわしい資格を有するスタッフや人材、十分な資本や市場へのルートも持っていません。しかしこのエネルギッシュな起業家は後に '私は自身のゴールに到達する強靭な意志と、定めた目標を達成するための強さがあるという確信を持っていた。' と説明しました。
テクノロジーに対する熱意でカール・マイヤー氏は、西ドイツにおいてまだ5台しか存在していなかった経編機の動作原理を学習し、そしてソビエトによる占領の結果永久に失われたように思われる何か、すなわち経編機市場を再構築し始めたのです。

1949年

カール・マイヤー社、初めて国際展示会に出展。

1950年

最初のカール・マイヤー社製ダイレクト整経機が登場し‘整経準備機器’部門の操業の第一歩を踏み出しました。

1953年

カール・マイヤー社は最初のラッシェル機を製造。

1954年

1000台目のトリコット機がオーバーツハウゼンより出荷。1954年より、3,000㎡の敷地を有する最初の大きな組立工場となりました。
チュールラッシェル機とエラスチックラッシェル機もまたこの年初めて製造されました。

1955年

カール・マイヤー氏はニュージャージー州クリフトンに海外で最初の関連会社を設立することを決定しました。また同時にITMAにも初めて参加出展しました。
国内市場はオーバーツハウゼンで生産するすべての経編機を販売するには客先数が限られていましたので、早い段階から国際市場に向けて営業を開始する必要がありました。
 カール・マイヤー氏が後日”我々は雇用を守るため輸出しなければならなかったし世界に進出する競争力があるなら輸出することが重要であった。”と説明しています。
適正な価格で革新的な製品を提供することに加えて、競合に強いということは、輸出販売に向いていることを意味しました。
このため、最初のステップとしてクリフトンに関連会社を設立することにしました。 カール・マイヤー氏はアメリカへの旅行中にこのベンチャーの資金調達のためトラベラーズチェックをドルに変えることからスタートしました。 開始当初、この新しい関連会社は顧客サービスを提供し、主にスペアパーツ用の倉庫と営業オフィスから成っていました。 後に10,000 ㎡をカバーするエリアで部品の生産を開始しました。

1956年

カール・マイヤー社はレース生産向けに最初のマルチバーラッシェル機を製造。

1957年

最初のダブルニードルバーラッシェル機を出荷。同年、750㎡の出荷スペースを開設しました。

1958年
カール・マイヤー社はオーバーツハウゼンにて拡張し続けました。機械組立は当初4,000㎡の第2工場で開始、続いて約40,000㎡の工場が完成しました。また同年、ネットカーテンラッシェル機の製造もスタートしました。

1959年

10人の従業員でカール・マイヤー社労働組合を結成。 "メンバーの労働条件の保護と改善" の為の協会は労使協議会の管轄には介入せず、会社にサポートされ、産業労働組合の全ての業務を実質的に実行しました。ホワイトカラーとブルーカラーの両方の労働者を採用し、様々な文化的かつ社会的なアメニティーを提供しました。

1960年

技術者支援のためのトレーニング計画:
'経編技術者トレーニングセンター' は、組立作業員のための集中的トレーニングコースから生れた理論的コースです。このコースは、カール・マイヤー社のお客様の従業員を対象とし、理論的かつ実践的情報を提供するもので毎年、大規模に行われます。
同年、健康保険組合が創設されました。

1963年

10,000台目の編機がお客様へ出荷されました。

1964年

Wohnhilfe Mayer GmbH社設立の契約が締結されました。
この会社は、従業員組合とカール・マイヤー社が共同で所有し、従業員のために適切な価格で宿泊施設が提供されました。

1965年

ブラジルに、組立とサービスを受け持つ子会社が設立されました。
オーバーツハウゼンにカール・マイヤーカンパニーハウスがオープンしました。

1966年

本社ビルディングが第一工場の横に建てられました。
カール・マイヤー氏は、本社1階のコーナーに氏のデスクを置きました。その場所は、非常に質素で透明のガラスで仕切られているだけでしたが、生産拠点の真っ只中に氏の仕事場を置くことで、生産活動の状況をつぶさに把握することができました。

1967年

技術情報誌 'ケッテンヴィルク・プラクシス (KWP)' が創刊され、ジャカードラッシェル機の1号機が紹介されました。
ケッテンヴィルク・プラクシス (KWP) は、カール・マイヤー社によって年4回発行され、経編分野の情報提供を行っています。記事は、最新テクノロジーによる新しい開発、最終商品や経済動向に焦点をあてた内容となっています。また、実際の生地サンプルも収録しています。

1968年

カール・マイヤー社はアジアでの事業を拡大します、UK、グリーンスボロに加えて日本マイヤー社を設立しました。 50のツインベッドルームを持つゲストハウスがオーバーツハウゼンに設立されました、そしてカール・マイヤー氏は名誉市民に選ばれました。 日本の市場を開くことにカール・マイヤー氏自ら積極的に関与しました。 日本への最初の出荷は27台のトリコット機で日本でのテクニカルサポートの提供も含んでいました。 技術者の手が空いていなかったため、カール・マイヤー氏自ら顧客のところに出張し、3週間で全ての編機を組み立て稼働させました、そして氏のことを最初は技術者というよりは '旅行者' ではないかと懐疑的であった日本人をトレーニングしました。 1968年秋、カール・マイヤー社と当時カール・マイヤー社のライセンスを持っていた武田機械が合併します。 これは日本の経済史上、ドイツ企業が日本企業に対して50%の株式を所有することが許可された最初のケースでした。
グリーンズボロでの新しい子会社は南米で急速に拡張していたテキスタイルマーケットにおいて、主に販売、サービスの提供を行っていました。
この年、既に180トンにも及ぶ航空貨物がドイツからアメリカへ送られ、そしてお客様はできるだけ早く生産に入れるよう、編機空輸のために高額な費用を支払う用意さえありました。

1969年

最初のパイル用ダブルニードルバーラッシェル機、及びマガジン式緯糸挿入装置付トリコット機が市場に登場しました。

1970年

カール・マイヤー氏はドイツ連邦共和国より殊勲章を与えられ、氏が生まれた通りはその名誉を称え改名されました。

1972年

マイヤー・コーン・クロスワインディング機がカール・マイヤー社の生産機種に仲間入りしました。

1974年

最初のテリーパイルトリコット機、マガジン式緯糸挿入装置付ラッシェル機、及び50,000台目の経編機がカール・マイヤー社より出荷されました。

1980年

カール・マイヤー社の創始者であるカール・マイヤー氏の3人の息子であるウルリッヒ、インゴ、フリッツ・P・マイヤー氏が経営者委員会のメンバーになりました。

1981年

エレクトロニクスがカール・マイヤー社製編機のテクノロジーに影響を及ぼし始めます。 最初のコンピュータ制御ジャカードシステムはジャカードトロニックⓇレース機の開発と共に導入されました。

1983年

カール・マイヤー社は新しい延伸整経プロセスを市場に投入しました。 同年、カール・マイヤー氏は福井工業大学名誉教授に選ばれました。 オッフェンバッハ市のkingspor博物館をサポートする為カール・マイヤー財団を設立しました。

1985年

カール・マイヤーグループの香港事務所が設立されました。

1987年

10,000台目の整経準備機器の出荷と最初の延伸整経機 / サイジング機の据付を祝いました。

1989年

ビューディンゲンの工場を獲得しました。

1990年

第2工場の新家屋が完成しました。
家屋は7,500㎡に及び、全敷地は約85,000㎡に拡張されました。 同年、日本マイヤー株式会社にて75,000台目の編機が生産されました。

1991年

最初のカール・マイヤー社製織機用整経準備機器を市場に投入しました。

1992年

ケムニッツのマリモ社を買収し、その後間もなくケンドラーテキスタイル社と統合しました。
マリモ社は百年の歴史を持ちます。 1887年に設立され、1907年に機械とチュール製造の合資会社となり、1945年に戦争によって破壊されました。 1954年以降「国営企業」として再建され、1957年に最初の マリモ社製 ステッチ・ボンディング機を開発、その後量産体制に入り市場と共に成長をかさねました。
会社の歴史に残る出来事として1990年にマリモ社 へと名前を変え、その2年後にカール・マイヤー社の傘下に入りました。 このステップは、長い歴史を持つサクソニーを地盤とした会社の未来、マリモステッチ・ボンディングの開発、また、特にテクニカル・テキスタイル分野の製品を提供することによってカール・マイヤー社の商業的成功をも確実なものとしました。

1995年

子会社として中国でカール・マイヤーウージン社が設立されました。
悲しいことに、カール・マイヤー社の創設者が同年死去しました。

1997年

ケムニッツで新しい社屋の会館式が行われ、続いてウージンでも10,000㎡の生産工場が建設されました。

1998年

カール・マイヤー社はロータル s.r.l.社を引き継ぎカール・マイヤーロータル社を設立しました。
同時に 'チームワーク'という新しいコンセプトの導入が始まりました。ロータル社は家族経営の会社で北イタリアのメッツォロンバルドという所にあるサイジング機のメーカーで、1992年以来既にカール・マイヤー社と協同して成功を収めています。この新しい会社の生産レパートリーは、ステープルファイバーヤーン用サイジング機、合成繊維用サイジング機及びビーミング機の組立です。
'チームワーク' のコンセプトは、製造部門に関する新しい組織的な戦略です。このコンセプトは従来の手法や厳格な階級性に取って換わり作業者ベースのアイデアを基本にしています。チームは20人までの作業者で構成され、適切な管理者と検討し同意を得た専門的な作業に自発性を持って独立して従事します。従ってグループは大きな自由性を持ち生産手順や生産性をいかに改善できるかという提案をすることができます。

1999年

カール・マイヤー社は中国ウージン市の新工場で生産を開始し、顧客をそのまま引き継ぎました。
整経準備機器生産のための新しい製造ラインおよび組立工場がハウゼンに建設されました。
ハウゼンの工場は5,000㎡から10,000㎡と今までの2倍に拡張されました。 さらに2,500 ㎡の広さの倉庫も建てられました。

2000年

中国、常州で整経準備機器の代理店業務を開始しました。

2001年

南揚子江大学 & カール・マイヤーグループ (WKRC) の経編研究センターが設けられました。
経編研究センターは中国の経編分野の研究と用途促進のため中国無錫に置かれました。 センターの主な役割は中国語での定期的な顧客のトレーニング、インターネットによる情報の発信と専門誌「 ケッテンヴィルク・プラクシス (KWP)」の出版です。

2002年

カール・マイヤー社は、中国での生産拡大を継続しています。 ウージンにあるカール・マイヤーウージン社の生産エリアが5,000㎡拡大されてトータルで17,000㎡となりました。 更にカール・マイヤーテクニカルサービス社が設立されサービス活動が開始されました。
カール・マイヤーウージン社では約310名の従業員が働いており、標準経編機の製造に加えて整経準備機器の製造も行っています。これらの機械をサポートすべく、カール・マイヤーテクニカルサービス社のサービススペシャリストが、包括的で迅速な技術サポートを行っています。

2003年

テクストロニック®機TL66/1/36とファッシネーションレース®機FL20/16は、新世代レース機の最初の編機で市場にセンセーションを巻き起こしました。
新しいGir-O-Maticサンプル整径機は経済効果、柔軟性及び品質に関して整径準備工程に新機軸を打ち立てました。また生産管理ソフトSAP R/3の最初の導入段階も完了し、複雑な業務を組織的、効果的に扱うカール・マイヤープロジェクトマネージメントシステムも開発されました。これらは独立したソリューションではありません - この新世代レース機の特徴は革新的なパッケージ構成になっていることです。注目点はハイレベルなダイナミックサーボモータ、コンピュータ制御機能と全く新しいパターニングシステムです。これらの特徴によって従来実現し得なかった、柔軟性のあるパターニングと経済的な生産及び高いファブリック品質を達成しています。

2004年

新世代レース機に備えられた新考案の数々はジャカードトロニック®機に統合され、市場に送り出されました。

2005年

KAMCOS®が全てのカール・マイヤー社製編機に導入されました。 KAMCOS®はカール・マイヤーコマンドシステムを表わし、編機の全コンピュータ装置の管理を行う効率的なシステムです。 効率的な操作性、シンプルな人と編機のコミュニケーションや大規模なネットワーク化の可能性を提供します - 全ての編機はネットワークで結ばれ、生産部門は管理者またはコントロールセンターに接続することができ、インターネットへのアクセスも可能です。
ブラジルにおける海外業務は地域市場の状況にあわせて縮小され、事業活動は代理店に移行されました。

2006年

オーバーツハウゼンに新しいロジスティックセンターがオープンしました。

2007年

カール・マイヤー社は自身の70周年を祝うと同時に、新しいカスタマー・サポート & デベロップメント・センターを開設しました。

2008

Opening of the new production plant KARL MAYER CHINA Ltd. in Changzhou

Foundation of the KARL MAYER Academy CHINA

KARL MAYER takes over the warp preparation weaving division from Benninger/ Switzerland.

2010

Die 100  000. KARL MAYER Maschine wird ausgeliefert.

 

1 Die KARL MAYER-Textilmaschinenfabrik – Porträt einer Firma, Verlag Werkgemeinschaft KARL MAYER e.V. Obertshausen

 

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